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「論語と算盤」渋沢栄一 その2

「先の見えない時代に、どう生きるべきか?迷った時や悩んだ時に立ち返りたい原点。渋沢栄一の言葉が、あなたを変える!」

↓前回ブログ「論語と算盤」のつづきです

https://www.kk-cranehome.com/blog/3600-2/

常識と習慣

まず「智」とは、人にとってどのような働きをするのだろう。人として知恵が十分に発達していないと、物事を見分ける能力が不足してしまう。たとえば、物事の善悪や、プラス面やマイナス面を見抜けないような人では、どれだけ学識があったとしても、良いことを良いと認めたり、プラスになることをプラスだと見抜いて、それを採ることができない。学問が宝の持ち腐れに終わってしまうのだ。この点を思えば、知恵がいかに人生で大切であるかが理解できるだろう。

しかし、「智」ばかりで活動ができるかというと、決してそうではない。そこに「情」というものがうまく入ってこないと、「智」の能力は十分に発揮されなくなってしまう。

たとえば、「智」ばかりが膨れ上がって情愛の薄い人間を想像してみよう。自分の利益のためには、他人を突き飛ばしても、蹴飛ばしても気にしない、そんな風になってしまうのではあるまいか。

もともと知恵が人並み以上に働く人は、何事に対しても、その原因と結果を見抜き、今後どうなるかを見通せるものだ。このような人物に、もし情愛がなければたまったものではない。その見通した結果までの筋道を悪用し、自分が良ければそれで良いという形で、どこまでもやり通してしまう。この場合、他人に降り掛かってくる迷惑や痛みなど、なんとも思わないほど極端になりかねない。そのバランスの悪さを調和していくのが、「情」なのだ。

「情」は一種の緩和剤で、何事もこの「情」が加わることによってバランスを保ち、人生の出来事に円満な解決を与えてくれるのである。もしも人間の世界から「情」という要素を除いてしまったら、どうなるだろう。何事も極端から極端に走って、ついにはどうしようもない結果を招いてしまうに違いない。だからこそ、人間にとって「情」はなくてはならない機能なのだ。

しかし、「情」にも欠点があって、それは瞬間的にわきあがりやすいため、悪くすると流されてしまうということだ。特に、人の喜び、怒り、哀しみ、楽しさ、愛しさ、憎しみ、欲望といった7つの感情は、その引き起こす変化が激しいため、心の他の個所を使ってこれらをコントロールしていかなければ、感情に走りすぎるという弊害を招いてしまう。この時点で、「意志」というものの必要性が生じてくるのである。

 

つづく↓

「論語と算盤」渋沢栄一 その3

 

現代語訳 「論語と算盤」 渋沢栄一 (訳)守屋淳 ちくま新書

  • 「論語と算盤」渋沢栄一 その2

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