「論語と算盤」 渋沢栄一
現代語訳「論語と算盤」 渋沢栄一 守屋淳訳 ちくま新書
《渋沢栄一という原点》
一般的な知名度はあまり高いとは言えないが、実は渋沢栄一とは、「近代日本の設計者の一人」に数えられる偉人に外ならない。
明治維新後、政治の世界でいえば、日本という国の基礎を作り上げたのは、大久保利通や伊藤博文、井上馨といった政府高官たちだった。
一方で渋沢栄一は、日本の実業界、ひいては資本主義の制度を設計した人物なのだ。彼が設計に関わった会社は481社とされ、それ以外に500以上の慈善事業にも関わり、後世、「日本資本主義の父」「実業界の父」と呼ばれてノーベル平和賞の候補にもなっている。
(中略)
《今、なぜ現代語訳か?》
さて、本書はそんな「論語と算盤」の中から重要部分を選び、現代語に訳したものだ。栄一は、本書の中で、次のように語っている。「(「論語」を小難しくとらえようとする学者は)口やかましい玄関番のようなもので、孔子には邪魔者なのだ。こんな玄関番を頼んでみても、孔子に面会することはできない」この指摘を借りていえば、本書が目指したのも、渋沢栄一の良き玄関番に外ならない。
昨今は、漢文調の文章を読みづらいと感じる人が増え、栄一という近代屈指の偉人と出会いにくくなってしまった。だからこそ、中学生でも気軽に会いに行けるような、そんな玄関番になって、栄一の魅力をぜひ多くの人に知ってほしいと考えたのだ。
1886年、渋沢栄一を慕う人々が竜門社という組織を作った。これが現在の渋沢栄一記念財団の前身となったのだが、この龍門社が「竜門雑誌」という機関紙を発刊、栄一の講演の口述筆記を次々と掲載していった。そのなかから、編集者であり実用書の著者でもあった梶山彬が、90項目を選んでテーマ別に編集したものが本書である。
つづく↓
《常識と習慣》
およそ人として社会で生きていくとき、常識はどんな地位にいても必要であり、なくてはならないものである。では、常識とはどのようなものなのだろう。私は、次のように解釈する。
まず、何かをするときに極端に走らず、頑固でもなく、善悪を見分け、プラス面とマイナス面に敏感で、言葉や行動がすべて中庸にかなうものこそ、常識なのだ。これは、学術的に解釈すれば、
「智、情、意(知恵、情愛、意志)」の3つがそれぞれバランスを保って、均等に成長したものが完全な常識であろうと考える。さらに言葉を換えるなら、ごく一般的な人情に通じて、世間の考え方を理解し、物事をうまく処理できる能力が、常識に外ならない。
人の心を分析して、「智、情、意」の3つに分類するというのは、心理学者の説に基づくものだが、この3つの調和がいらないという者など誰もいないだろう。知恵と情愛と意志の3つがあってこそ、人間社会で活動ができ、現実に成果をあげていけるものである。
ここでは常識の原則である、「智、情、意」の3つについて述べてみたいと思う。
つづく
(Kazu)