日本を今一度せんたくいたし申し候(3)坂本龍馬
【龍馬走る】
慶応二年一月十八日、京都の薩摩藩邸で、薩摩と長州の一回目の会談が開かれました。出席者は、薩摩側は西郷隆盛はじめ七人、長州側は桂小五郎一人。しかし話し合いは抽象的な国家論に終治し、同盟の具体的内容を取り決めることはできませんでした。すでに幕府軍に取り囲まれていた長州藩は会談の内容に不満を抱きます。
けれど桂には、膝を屈して同盟を願い出ることはできませんでした。会談の翌日、桂は帰国の支度を始めます。片や西郷にも、直ちに帰国せよと藩からの命令が下っていました。龍馬が現れないまま、薩摩と長州の会談は決裂しようとしていました。
1月20日、ようやく薩摩藩邸にたどり着いた龍馬は、薩長同盟の交渉が少しも進んでいない事実を知ります。龍馬は桂小五郎が泊っている屋敷に向かいました。
「桂さん、同盟はどうなりました?」
「何一つ、結ぶものはなかった」」
龍馬は激しました。
「私らが奔走しちゃるのは、薩摩のためでも長州のためでもない。天下の情勢が不安だからじゃ。しかるにおまんらはどうじゃ。せっかく首脳同士顔を合わせながら、なんでもっと腹を割って話さんのじゃ」
桂は龍馬に答えます。長州が危機に瀕しているこの時期に、自分から薩摩に同盟を持ちかけるのは、まるでこちらが援助を請うているようなものだ。私から口を開くことはできない。
もはや龍馬は、桂を問い詰めようとはしませんでした。この期に及んでなお、自分の藩の体面にこだわり、同盟を結ぼうとしない長州と薩摩。わずかな面子が立つか立たないかということが、日本の行く末を危うくしようとしている。
1月20日夜、龍馬は京都の道を走ります。行き先は薩摩藩邸、西郷隆盛の居所。薩摩と長州が同盟するためには、どうしても薩摩のそばから話を持ちかけるしかない。龍馬は長州の事情を打ち明け、言います。
「今こそ、同盟を結ばねばいかんのじゃ、西郷さん」
西郷は龍馬の申し出を承知しました。その翌日、龍馬の立ち会いの下、西郷隆盛と桂小五郎は再び会談に臨みました。西郷は、自ら同盟を持ちかけました。そしてこの日、幕末の日本を変える歴史的な同盟が締結されたのです。
薩長同盟成立後の慶応2年6月、幕府軍と長州軍との戦闘が始まりました。しかし、薩摩の応援がない幕府軍の戦力は弱いものでした。第二次長州征討の失敗は、徳川幕府の権威を地に落としました。幕府の崩壊は時間の問題となりました。
慶応3年10月14日、龍馬の提案をもとに、大政奉還が行われ、幕府は朝廷に政権を返上。260年余続いた徳川幕府はここに幕を閉じました。
その1ヶ月後の11月15日、龍馬は、暗殺者の手によって命を奪われ、33年の生涯を閉じました。龍馬は、今、京都郊外、東山の高台に眠っています。幕末の日本を駆け抜け、たった一人で歴史を動かした坂本龍馬。常に走り続けたその姿は、今も人々の胸の中に生きています。
(参)NHK「その時歴史が動いた」心に響く名言集 三笠書房
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