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日本を今一度 せんたくいたし申し候(2)坂本龍馬

【薩長和解に動き出す龍馬の秘策】
元治元年8月、龍馬は勝海舟の紹介で京都の薩摩藩邸を訪れ、西郷隆盛と出会います。また、同じ土佐藩脱藩の中岡慎太郎らと議論を交わし、薩摩藩と長州藩を結びつけることが日本に新しい時代をもたらすことになると考えるようになります。
そんな中、慶応元年4月・第二次長州征討が発令されました。龍馬は、西郷とともに鹿児島へ赴いて薩摩藩士たちと親交を結び、続いて長州藩の中心人物・桂小五郎に合うために下関へと向かいます。薩摩藩と長州藩を結ぶためでした。
5月1日、桂小五郎にあった龍馬は、「一度、西郷と会ってはもらえないだろうか。それが長州のためになる」と懸命に桂を説得、西郷と会うことを決意させます。龍馬と桂は、二週間、西郷を待ち続けます。
ところが、二人の前に現れたのは中岡慎太郎だけ、一緒に来るはずだった西郷は、急遽大阪へ向かったというのです。桂の面目は丸つぶれとなり、薩摩藩と長州藩の溝はますます深まる結果となりました。
龍馬は、西郷と直接会ってことの真意を確かめるべく、すぐに京都へ向かいます。その龍馬に西郷は、藩から、長州への総攻撃を始めようとする幕府の動向を探るため、京都へ向かえという命令が下されたことを告げます。
この時点で、およそ5万の幕府軍が、江戸から長州に向け、進軍していました。幕府は第二次長州征討を薩摩に相談することなく決めていたのです。薩摩藩は反感を募らせ、幕府と鋭く対立するようになっていきます。
そこで龍馬が次に取った手は、薩摩と長州の利害を一致させて、実質的に結びつけてしまおうというものでした。

【龍馬の秘策】
龍馬は、薩長同盟に新しい糸口を探るため、長崎に新たな拠点(日本で初めての貿易会社「亀山社中」)をつくります。貿易によって、実質的に両者を結びつけてしまおうと考えたのです。
幕府からの攻撃の危機にさらされた長州藩は、外国製の最新の武器を必要としていました。しかし、外国との貿易は禁じられています。これに目をつけた龍馬は、一度薩摩藩の名義を借りて武器を購入し、それを長州に売ることにしたのです。
一方、薩摩藩は兵糧米が不足していました。龍馬は亀山社中を通じて、長州の米を薩摩に運びました。こうして龍馬は、薩摩と長州の間に事実上の協力関係を築いていったのです。
慶応元年秋、機が熱したと見た龍馬は、西郷と桂の二人に対して、薩摩と長州が同盟を結ぶための会談を行うことを提案。慶応2年1月8日、西郷隆盛と桂小五郎が、京都で初めて出会います。
薩摩と長州は、ついに同盟に向けて歩み始めたのです。
ところが、その時、両者の仲介をするべき坂本龍馬は、まだ下関にいました。天候不順で、龍馬が乗る船はなかなか出航できずにいたのです。

(参)NHK「その時歴史が動いた」心に響く名言集 三笠書房

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(Kazu)