社会と学問の関係
社会と学問の関係
もともと人情には、こんな陥りがちな欠点がある。
成果をあせっては大局を観ることを忘れ、目先の出来事にこだわってはわずかな成功に満足してしまう。かと思えば、それほどでもない失敗に落胆する_こんな者が多いのだ。高学歴で卒業した者が、社会での現場経験を軽視したり、現実の問題を読み誤るのは、多くの場合このためなのである。ぜひともこの間違った考えは改めなければならない。その参考として、学問と社会の関係で、考察すべき例を挙げてみよう。その例とは、地図を見るときと、実際に歩いてみるときとの違いだ。地図を開いて目をこらすと、世界全体がひと目で見渡せる。国々や各地方は、ごくわずかな範囲におさまってしまう。参謀本部が制作した地図はとても精密なもので、小川や小さな丘、土地の高低や傾斜の具合までよくわかるようにできている。しかしそれでも、実際と比較してみると、予想外のことが多い。それを深く考えようとせず、よく知ったつもりで実地に踏み出してみると、どうしていいかわからなくて迷ってしまうこと請け合いだ。
山は高いし、谷も深い。森林はどこまでも続き、河は広く流れている。そんな合間の道をたずねて進んでいくと、高い山に出会って、いくら登っても頂上に行き着けないようなことがある。あるいは大河にはばまれて、途方にくれてしまうこともあるだろう。道路が回り道になっていて、簡単には進めないときもある。深い谷に入っていつ出られるのかと思うようなときもある。至るところに、困難な場所を発見することになるのだ。
もしこのとき信念が固まっていず、大局を見る見識もなければ、失望や落胆にかられ、勇気など出てこないだろう。あてどなくウロウロする羽目になって、ついには不幸な終わりを迎えるに違いない。
「論語と算盤」渋沢栄一より
(Kazu)