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理論より実際

「理論より実際」

世間一般における教育のやり方を見ていると特に、いまの中等教育が、その弊害が激しいようだが、単に知識を授けるということだけに重点を置きすぎていると思う。言葉を換えれば、道徳を育む方向性がかけている。たしかに欠乏しているのだ。

一方で学生の気風をみると、昔の青年の気風と違って、今ひとつある勇気と努力、そして自覚が欠けている。もちろんこのようにいって、自分のような驕り高ぶった自慢を聞かせたいわけではない。何しろ今の教育は学科の科目が多い。あれもこれもといった有様で、その数多い科目の修得におわれ、時間が足りないといった風情なのだ。このためよそ見をするヒマもなく、人格や常識を身につける努力などできないのは自然の流れだろう。これは返す返すも残念なことだ。現に社会に出ている人はともかく、これから社会に出て大いに努力し、国家のために尽くそうと思われる方々は、こうした事情によく注意してもらいたい。

ところで、自分に最も関係の深い実業界での教育について見てみると、昔は実業教育となのれるようなものは存在していなかった。

明治維新の後でも、1881,82年頃までは、この方面で少しの進展もなかったのだ。商業学校のようなものも、その発達はたかだかこの20年の間のことなのだ。

だいたい文明の進歩というのは、政治、経済、軍事、商工業、学芸などがことごとく進歩して、初めて真の姿を見ることができる。そのなかのいずれか一つが欠けても、完全な発達、文明の進歩とはいえないのだ。

ところが日本では、その文明の大きな要素であるはずの商工業が、久しくなおざりにされて顧みられなかった。

一方で欧州の列強国をみると、他の方面ももちろん進歩しているが、なかでもとりわけ進んでいるのが実業、つまり商工業なのだ。わが国においても近頃は実業教育に対する世間の関心が高まり、進歩発展をしてきた。

しかし惜しいことに、その教育方法はといえば前に述べたように、急かされるままに、急ぐがままに、理論や知識一辺倒になりがちになっている。が規律であるとか、人格であるとか、道徳や正義といったことはまったく顧みられないのだ。

大勢の流れのなかでは、これは仕方がないことだといえるかもしれないが、とても嘆かわしいことだ。

 

渋沢栄一「論語と算盤」より

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https://www.newzealand.com/jp/feature/lake-matheson/

マセソン湖・ニュージーランド

(Kazu)