人は平等であるべきだ
「人は平等であるべきだ」
才能の向き、不向きを見抜いて、適材を適所に配置するということは、多少なりとも人を使う立場の人間が常に口にすることだ。そして、同時に、常に心のなかで難しさを感じている事柄でもある。
さらにもう一つ思うのは、人を適材適所につけていくことの背後には、企みが潜んでいる場合があるということだ。自分の権力を拡大しようとするなら、こんな手がよく使われる。自分の子分の中から良い人材を適所に送り込んで、一歩一歩、一段一段、じわじわと自分の勢力をうえつけ、少しずつ自分の権力の基盤を踏み固めていくのだ。
このような工夫をするものは、ついに自分の派閥の権勢を手にして、政治や実業の世界、ないしは社会の至るところで、揺るぎない覇権を握ることができるのである。しかし、このようなやり方は、まったくわたしの学ぶところではない。
適材が適所で働き、その結果として、何らかの成績を上げることは、その人が国家社会に貢献する本当の道である。それは、わたし渋沢が国家社会に貢献する道ともなるのである。
わたしを、徳のある人と思ってくれる人もいるかもしれないが、わたしも人のことを徳があると思っている。結局、世の中は持ちつ持たれつなもの。自分も驕らないようにし、相手も侮らず、お互いに信頼しあって隙間風の吹かないようにとわたしは努めている。
渋沢栄一「論語と算盤」より
(Kazu)
https://www.tripadvisor.jp/Attractions-g143029-Activities-Grand_Teton_National_Park_Wyoming.html
グランドティトン国立公園