「今目覚めずしていつ救われるか」戦艦大和乗組員
「敗れて目覚める、それ以外にどうして日本が救われるか。今目覚めずしていつ救われるか」 戦艦大和乗組員の言葉
【「不沈戦艦」の誕生】
昭和十二(1937)年、海軍工廠があった広島県呉市で、新型戦艦・大和の建造が始まりました。全長263メートル、満載排水量2809トン、46センチ砲9門搭載。大和は、最強かつ最新の攻撃力と防御力を結集した軍艦でした。
昭和16(1941)年、12月8日、日本軍の航空機がハワイ真珠湾を空襲、太平洋戦争が勃発します。この攻撃でアメリカ戦艦部隊は打撃を受けます。それは、航空機は絶対に戦艦を沈めることはできないと言われていた開戦前の常識を根底から覆す、衝撃的な出来事でした。
これにより今後の戦争の主役は航空兵力であることを悟ったアメリカは、空母の増産に乗り出します。
それに対して日本海軍は、真珠湾で航空機の力を実証したにもかかわらず、戦艦こそが、海の王者であるという古い発想を捨てきれませんでした。昭和17(1942)年、4年の歳月と当時の国家の予算の3%にあたる1億4000万円をかけた巨大戦艦大和は、連合艦隊の旗艦に就役。アメリカの基地・ミッドウェー島の攻略作戦において初めて出撃します。
日本軍機動部隊は空母4隻、戦艦2隻。一方、アメリカ軍は空母3隻、戦艦はゼロ。さらに日本軍は、機動部隊の後方に大和を旗艦とする戦艦7隻、空母1隻の主力部隊と、戦艦2隻、空母1席の攻略部隊を配置、質量共に圧倒的に優勢な勢力を擁していました。
しかし、日本軍の作戦は暗号を解読されてアメリカ軍に筒抜けになっていました。6月5日、午前4時、アメリカ軍空母から151機の攻撃隊が発進。不意打ちを受けた機動部隊は大混乱に陥り、空母4隻が沈没、このミッドウェー海戦に参加した日本海航空部隊は全滅に等しい損害を受けました。
このとき、大和は無力でした。戦場のはるか後方550キロにあっては、46センチ砲を撃つことにもならず、といって空母や航空機の速力には追いつけず、敵と戦わずして引き返すしかなかったのです。
昭和19(1944年)6月、大和に再び出撃のときが来ました。マリアナ沖海戦です。日本軍の兵力は空母9隻、戦艦5隻、艦載機439。一方、アメリカ軍は空母15隻、戦艦7隻、艦載機896。両者の間には倍近い差がついてしまっていました。そして、日本軍は空母3隻と艦載機四百あまりを喪失、大和は、またも虚しく引き上げるしかありませんでした。
【特攻作戦発令】
昭和19年10月、アメリカ軍はフィリピン・レイテ島に上陸します。陸軍部隊を支援する兵力は艦船700隻、航空機1千機に及びました。敵輸送船団を撃滅せよとの命を受けて出撃した日本海軍の主力は、大和、武蔵を含む戦艦7隻からなる第二艦隊。しかし、もはやその上空を守る航空機の姿はありませんでした。
10月24日、日本軍戦艦部隊の頭上にアメリカ軍機が襲いかかります。第2艦隊は出撃した艦船の半数以上を喪失。日本海軍は壊滅状態となります。
大和は、武蔵が敵をひきつけている間に前進を続け、25日夜明け前、アメリカ軍空母部隊と遭遇して小型空母「ガンビア・ベイ」を撃沈しますが、それは年間50隻作られた小型空母の1隻にすぎませんでした。結局、レイテ湾を目前にして大和は突入を断念。三たび、むなしく引き返すしかありませんでした。
(引用)NHK「その時歴史が動いた」心に響く名言集 三笠書房
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